2018年02月13日

恩師と呼ばないで

恩師、という言葉をO先生に使うのはいささか抵抗がある。

O先生は高校時代の音楽教師だ。そしてなにより、おれの所属していた吹奏楽部の顧問でもある。だからもちろん、とてもお世話になったわけだし「仰げば尊しわが師の恩」では当然あるのだ。

それでも「恩師」って言葉が引っかかるのは、O先生はきっとそう呼ばれるのを居心地が悪く感じるんじゃないかと思うからだ。あくまで思う、だけど。

O先生は「ぼくの好きな先生」の例に漏れず、「ぼくの好きなおじさん」だった。タバコの臭いはしないけど、変な先生だった。

授業では声楽の課題曲は『魔笛』だった。しかも合唱ではなく、男女でのデュエット。まず女子とペアを作る時点で童貞にはきっつい課題だ。幸い吹奏楽部のおれは何人かの女の子から誘われる。あれほど真面目に音楽に取り組んでいたことが報われた日はないかもしれない。

学年末にはテストの代わりにレポート。テーマは「モーツァルトの死」か「ジョン・レノンの死」について、どちらかを選択。ちなみにそのとき参考資料として観た映画『アマデウス』は、大好きな一本になった。

学生時代はトロンボーンをやってたみたいで、定期演奏会では度々一緒に吹いてくれた。音量はでかいけど、全然上手くなかった。でも「プロはそんなに練習しないよ」と嘯いて、本番ギリギリまで練習にも来なかった。

タクト持つのも好きだったみたいで、頼めばうれしそうに指揮もやってくれた。ただ、音源を聴かずに独自の解釈で振るから、部員からの評判はイマイチだった。

合奏は誰よりも楽しそうだったけど。

それから、こんなこともあった。

ある日部活の先輩から「これ見てみ」と渡されたクラシックCDのライナーノーツ。文末の署名にはO先生の名前と、「オペラ評論家」の文字。肩書きはオペラ評論家、高校教師なんてどこにもクレジットされてない。

何者なんだ、あなたは。

先生にそのことを尋ねるとニコニコしながら一言、「ぼくは音楽家なんだ」。

そう、O先生は教師とか顧問とかである前に音楽家だった。そして、ただの高校生であるおれたちにも、それを求めた。

土日祝日問わず長時間練習したがるおれたちに、「そんなに必死に練習しなきゃいけないのかい?」「それはなにかが違うんじゃないかい?」と言って、あまり練習に付き合ってはくれなかった。コンクールで『カルメン組曲』からの抜粋を演奏することになったわれわれに、「じゃあ原典にあたらなきゃね」といって、3時間近いオペラの映像(しかもLD)をやたら良い機材で観せた。合奏中に「ここはウィンナー・ワルツでやろう」と言い出し、そこから当時のウィーンの社交界について長々と話した。

きっと先生は吹奏楽""としての練習だったりコンクールで勝つための練習だったり、そういうものには疑問を持っていたんだと思う。

だって、O先生は"音楽家"だから。

どうしたってスクールバンドが陥る、「音楽的」じゃない悪癖の数々。軍隊式の「練習」。効率重視・コンクール映えする選曲や解釈。原典や歴史背景を知らないまま演奏する愚。

超然とした態度を取ることでそこに疑問を呈しつつ、でも生徒にそれを教える=強制することはしない。自らのスタンスを提示しつつ、押し付けはしなかった。

O先生にとって「教える」って行為はあんまり"音楽的"じゃなかったんじゃないかな、きっと。

もちろん、こんなことを考えるのは卒業してだいぶたってからで、教育現場の末端の下請けとはいえ自分も「教える」立場になってからだ。当時は「あんま部活好きじゃないのかな、めんどくさいのかな」くらいに思っていた。そうじゃないってことが今ではわかる。O先生は部活としてのおれたちも好きではあったんだ。だけど、"音楽"の方がより好きだった。それだけだ。そして、それは大切なことなんだ。

まあこんなこと書きながらも、どこかではそんな高尚なことじゃなくて「家で新しいレコード聴きたいから休日は休みたいなあ」、それだけなんじゃないかとも思う。もしそうなら、それはそれで一人の"音楽好きのおっさん"として、やっぱりおれは苦笑しつつ尊敬しちゃうのだ。

おれが卒業してしばらくして、O先生は退官してしまった。個人的に話したのはその後、ブックオフで偶然会ったのが最後だ。

先生はやっぱりクラシックコーナーにいて、楽しそうにCDを選んでいた。

「何かいいの見つかりましたか」みたいなことを話した気がするけど、先生が何買ってたのかは覚えていない。「アサコシは大学行ってるのか」あんまり行ってなかったおれはへへっと笑うしかなかった。でも、名前を覚えててくれたのは意外だけど嬉しかった。

O先生と最後に会った本八幡のブックオフはその後、閉店してしまった。でもまだ、『魔笛』のアリアはちょっとだけ歌える。






posted by 淺越岳人 at 23:58| Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

志望動機と先行販売

恥ずかしい話なので確かどこにも書いていなかったと思うけど、実はおれが国府台高校を受験した理由は、いわゆる「日の丸・君が代問題」なのだ。


中学生の時分、おれも酷い反抗期だった。ただその反抗の先は親とか教師ではなく、「強権的なシステム」だったからタチが悪い。


"総合的な学習の時間"を「生徒主導」で「自主的」に行うと言っていたのに、テーマは教員が勝手に決めるわクラス代表は成績のいい奴が"立候補"するように事前に根回ししているわ(これをなぜおれが知っているかというと成績が良かったからだ)、およそ民主的でなかったので、学年末の振り返りレポートにその旨を全部スッパ抜いて書いたり。

2年から3年次のクラスは本来持ち上がりという話だったが、それをなんと終業式1週間前に「クラス替えします」と発表されたので、有志を集めて保護者会に乗り込んだり、校長室に直談判しに行ったり。


そしてなにより恥ずかしいのは、今思い返すとそれらの"不条理"そのものに、あまり怒りがなかったことだ。「不条理や横暴に対する怒り」でなく、「そういうのに怒って行動できるオレ」だったわけだ。格好悪いったらありゃしない。


まあちょうど当時つかこうへいの『飛龍伝』だったり沢木耕太郎の『テロルの決算』だったり、あとパンクロック聴き出したりして、何かあれば(左右関係なく)「革命!」と叫びたい時期だったのだろう。ビートルズの『Revolution』、歌詞の意味もわからず聴いてて、和訳してみたら一変嫌いになったのも中3のときだ(今は大好きさ)。


「受験」とか「進学」とか、そういうのもやっぱり「システム」としか思えなくて、志望校とかも全然考えていなかった。それでも勉強は結構好きだったから、あまりその辺困らなくて、余計に後回しにしていた。父親からは、「サラリーマンと公務員以外なら何やっても文句は言わないから」と教えられていたし。


なにせ、「これからのライフプラン」みたいな発表で「27歳で死ぬ」て書いてたからね。大真面目に。


そんな小型狂犬・アサコシ少年に救いの手を差し伸べたのが当時の担任M先生。一向に進路を決めようとしないおれに、こんな高校あるぞ、とある新聞記事を見せてくれた。


それが、国府台高校の「日の丸・君が代問題」の記事だった。


M先生には今でも感謝している。第1、さっきの「ライフプラン」とか、書き直しを命じるわけでもなくそのまま掲示してくれたからね。多分クラス替えのメンドくせえ経緯とかも知った上で、「メンドくせえヤツ」としてのおれを尊重してくれた、そんな数少ない大人だったんだ。


当然大好物に食いついたおれは、サクッと進路を決定。上手く教員に丸め込まれた気がしないでもないが、そのまま楽々合格。

そうして晴れて、"鴻陵生"の仲間入りを果たしたわけである。


実は入学後、「"運動"とか"政治"じゃ世界は変わらないよ」「革命家はその後世捨て人になる」というニヒリズム・ダダイズム期に突入して、いわゆる「The 鴻陵生」とは距離を置く学生時代を送るのだが、、、それはまた、別の話。


別の話もなにも、そもそもなんの話だ。

そんなことを思い出しながら、しかし思い入れとかじゃ語れない強固なコメディにしたいね、いやするんだよ。


特典付き先行販売、いよいよ明日11/25、10:00からです。


アガリスクエンターテイメント第25回公演『卒業式、実行』

2018217日(土)〜225日(日)

於サンモール・スタジオ

公演情報 http://sotsujitsu.agarisk.com/

予約 https://ticket.corich.jp/apply/87017/012/


どうしたって筆が滑るから、母校だ。


posted by 淺越岳人 at 23:31| Comment(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

卒業式、始動。

アガリスク次回公演の情報が出ました。
http://sotsujitsu.agarisk.com/
そう、『ナイゲン』『紅白旗合戦』に次ぐ、「国府台高校サーガ」第三作です。『ジェダイの帰還』です。いや、『シスの復讐』かな?どっちでもいいや。
と書いたところで「第三作」というのも少し変かな、と。題材は「卒業式での国旗・国歌」、つまり『紅白旗合戦』で描いたものに再挑戦する形になります。
はっきり言って、『紅白』はコメディとしては弱い。テーマの強度や演出的な面白さはあっても、システムも雑、笑いの量も質も水準に達しているかどうかという点で疑問が残る。
「テーマに敗けた」、というのが正直なところです。でも、今なら。
だから、「再挑戦」であって「再演」ではないです。リブートやリメイクと言うのも生ぬるい。「精神的続編」と言うか、換骨奪胎。テーマは同じでも、描き方・扱い方は全く別物になるでしょう。
アガリスクのヘッズにも意外と知られてないんですが、『ナイゲン』の初演版(第三回公演です)は現在のものと大きく違っています。『十二人の優しい日本人』オマージュの会議コメディ、という部分はもちろん変わっていませんが、そもそも中心的な議題である「どこか一クラス落選させる」と言う設定自体が初演には存在していません。というか、そのシステムの導入というアイディアによって、現行版にリメイクする道筋が見えたというわけなんです。
そういう意味では、やはり『ナイゲン』の姉妹作、「国府台サーガ」は改訂に改訂を重ねるに耐える、冨坂と我々にとって大きなヤマなんでしょう。いや、『ナイゲン』リメイクと比較すると今回はやはり「リメイク」のレベルではない。だって「会議コメディ」から「バックステージ・コメディ」に生まれ変わらせるわけですから、原型なんて留めるわけない。ま、どうせコメディなんですけど。今度こそコメディにするんですけど。
あと一つ、『ナイゲン』になぞらえるなら。リメイク版のそれは、おれたちの間違いなく代表作になったんです。だから、ね。
posted by 淺越岳人 at 23:14| Comment(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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